♪どっかいっちゃった~♪
プロローグ
今までで最も失ったもので印象に
残っているものってなんですか?
彼女とか彼氏とかではなくて・・・
形あるもので。
私は年度は正確ではありませんが、
1995年前後の元日の旧国立競技場
「天皇杯」決勝チケットです。
当時はJリーグバブル時代ですので、
まさにプラチナチケットだったのに~
整理整頓の行き届かない自分の部屋を年末ゆえに
私の不在時に母親に掃除されて適当に置いていた
天皇杯決勝チケットが入った「チケットぴあ」の袋が
「どっかいっちゃった~」です。
探しても探しても見つからず、母親を責め
挙句の果てに泣かせてしまい、当時ほとんど言葉を
かわすこともなくなっていた父親にも
激怒されたということも印象に残っているのかもしれません。
当時付き合っていた彼女もサッカー観戦が好きだったので、
二人での初天皇杯観戦からの初詣でという予定も
くるってしまったのも印象深いのかもしれません。
天皇杯が観に行けなくなったものの「サッカー観たい!!」
熱にうなされた二人は翌日に当日券で観れる
はい本題です。
どっかいっちゃった
たま~にストレス発散ということもありカラオケに行きます。
その時に絶対歌うのがこれです。
「東京少年」の「どっかいっちゃった」
知らない人のほうが圧倒的多数だと思いますけど、
こんな曲なんでよかった聴いてみてください。
♪どっかいっちゃった~♪
とシャウトすることでいろいろと吹っ飛びます(笑)
そんなに難しい歌ではないんで次回カラオケに行かれたら
試してみてください(笑)
東京少年
覚えていますか?知っていますか?
詳しくもないけど知らない方はウィキペディアで確認
ウィキペディアの内容はちょっと違和感も感じるのですが、
何が違和感かというと・・・
私はまったく「笹野みちる」を同列と思ったことなんぞ
一度たりともございません。
ボーイッシュなルックスにキャッチーな楽曲で人気を得ましたが、
それは周りの大人に計算されたもののように感じたのに対し、
「東京少年・笹野みちる」にはちゃんとした世界観がありました。
そんな「東京少年」の世界観を映像化したのは
若かりし頃の「岩井俊二」さんなんですよね。
「岩井俊二」さんのインタビュー付きの動画がYouTubeにアップ
されているのでよかったら観てください。
「東京少年」のMV本編は全10分58秒の中の
6分20秒あたりから名曲「陽の当たる坂道で」になります。
画像・音質はちょっとですがこちらは頭から
「陽の当たる坂道で」⇒「れんがの学校」と2曲
ウィキペディアにも書かれていますが見ている側も
本来向かいたかった道からズレはじめたと感じたのは
「アルペン」のCMソングとして採用された
「 Shy Shy Japanese」あたりからですかね、
この曲がスマッシュヒットし、これ以降いくつかの曲が
CM、アニメ主題歌とタイアップが続いていくのですが、
解散に向けて駆け足で坂道を転がっていくように感じたものです。
オリジナルアルバムは計4枚リリースしております。
- 東京少年
- 原っぱの真ん中で
- 僕らをさがしに
- 帰り道
いずれも2016年にタワーレコードで復刻版として
再リリースされております。
「2.原っぱの真ん中で」と
「3.僕らをさがしに」の間に
ミニアルバム「陽の当たる坂道で」をリリース、
「 Shy Shy Japanese」は「3.僕らをさがしに」の後に
リリースされるのですが個人的にピークだったのは
ミニアルバム「陽の当たる坂道で」までです(涙)
笹野みちる
東京少年解散後は充電期間を経て1993年に
「ささのみちる」としてソロデビュー、
1995年には「同性愛者」であることをカミングアウトした。
1997年には「京都町内会バンド」を結成し
今もなお活動しています。
facebookやTwitterアカウントを持っていましたら、
「笹野みちる」で検索してみてください。
Twitterのほうですけど、。
けっこうするどいツイートがあったりします。
するどいツイートを見ると、やっぱきっと「東京少年」の
方向性は苦痛だったんだろうなと改めて感じてしまいます。
最近は「種ともこ」さんとジョイントライブをしています。
懐かしいと思えたらこちらものぞいてみてください。
まとめ
ストレス発散に今もたまにシャウトする「東京少年」の
「どっかいっちゃった」。
書きたくなり内容がふくらんでしまいましたが、
いかがでしたでしょうか?
息抜きの方法は人それぞれだと思いますけど、
肩肘張らずに息を抜く瞬間を持ちましょう。
(了)