1年ほど前にこんなエントリーをアップしました。
2021年早々に『捜索願い』、そして『免許返納』となる前から痴呆症もゆっくりと進行していた義父、車で出かけることによって進行具合がゆっくりになっていたのは想像がつきます。
免許返納後には義父の愛車も売却、車で出かけることはなくなりましたが、健康面には気を配り、足腰が弱り出かけることが億劫になっている義母を連れ出しては日々1時間ほどの散歩だけが楽しみの日々、義母がともに出かけない時には義父一人では不安なのでスマホどころかガラケーも持たない義父には子供向けのGPSを携帯させるようになりました。
そんな変化のない日々を心配して、妻の実家は我が家は近いこともあり、ちょくちょく様子を見に行ってましたし、男手が必要なときには私もちょくちょく行ってました。
昨年11月には痴呆症は進行しているものの雨樋が詰まっていると梯子をかけて屋根に登って作業するほどの元気ぶり、実際には思ったとおりの作業はできずに、義母から連絡を受け、急遽私が実家の屋根に登って作業(汗)
言うことは時々チンプンカンプンであっても、体は86歳とは思えないほど元気だったのですが・・・
ところが12月に入ると歩くと疲れると言い、日課としていた散歩も休むようになり、運動もしないせいか以前ほどの食欲もなくなってきたようです。
12月半ばになると食欲はさらに減退し、ちょっと目を離すとすぐにソファで寝てしまうようになっていることを義母が妻に連絡してきます。
12月の話の途中ですが、義母についてもちょっと書いときます。
義母は「結婚してからなんでも義父がやってくれるから私は楽なのよ」というのが口癖の人で、義父の『捜索願い』騒動いらい、私からしても妻にしても、どうでもいいようなことでも話を盛って我が家に頻繁に電話してくるようになり、妻も私もそんな義母に辟易。
「110番、119番レベル以下のことは少しは自分で考えて行動してください」と私も妻も何度も何度も言ってきたのですが、いっこうに義母の行動も変わることもなく、我が家の固定電話に電話してくるのは義母が勧誘くらいなので、秋くらいからは固定電話にも出ないようなことが多くなっていたのですが・・・
12月半ばに話を戻して、義父の楽しみは夜の晩酌、食欲は減退しても晩酌だけはしていたようで、妻は晩酌をしている間は元気だから、晩酌をしないようになったら連絡してと義母に電話口で伝えた次第。
12月に入ってから義父がそんな感じで、電話だと義母が話を盛るので、妻は時間があるときには今まで以上に実家に行くようになったのですが、明らかにひと月前に比べると覇気がなくなってきているとは言ってました。
年が明けて正月には我が家に義父、義母を招待(車で迎えに行って)、我が家の4人と計6人で久しぶりに長い時間をともに過ごしたのですが、義母が言っていたように少し間が空くと義父は我が家のソファにもたれウトウト、目が開いていてもどこか遠くを見ているようでちょっと心配になりました。
我が家に来た翌日には、ここ数年は家族3人(長男を除く)での初詣でなのですが、今回は義父、義母も連れてきました。
神社の駐車場から車を降りて100mたらずを歩いて社殿まで向かうのですが、元々歩くのが遅い義母よりもさらに歩くのが遅くなっている義父を目の当たりにしました。
初詣でから数日後には晩酌もしなくなり、食欲はさらに減退している旨の報告がありました。
そして、ひとり湘南ドライブなんぞした数日後のことです(⇩はひとり湘南ドライブ)。
夜9時頃に我が家の固定電話の鳴りました。
「義父がお風呂に入ったきりで自力で出れない」旨の連絡を義母がしてきます。
妻の実家で見た義父は浴槽で目を閉じたまま、こちらから声をかけても返事らしい返事はしません。
息はあるのですけど、ほとんど反応しません。
そんな義父を浴槽から出すべく、お湯を抜いた後に私は浴槽に足を入れ、正面から抱えるように引きずりだすのですが、義父は体をだらりとさせたまま、自力で出ようという素振りは一切ないので60Kg程度の義父の体はその体重以上に重く難儀します。
なんとか浴槽から引きずりだし、だらりとした義父を椅子に腰かけさせ、妻と義母が体を拭き着替えるのですが、これも義父は協力するような素振りはないので、ひと苦労。
着替えが終わると、義父を背負ってなんとか寝室まで運びました。
それから2日後の朝に義母から「義父がぐったりしていて熱もあるみたい」との電話を受け妻は急いで実家へ、妻からは事後報告でしたが39.6度の高熱を発した義父は救急車で緊急搬送されます。
まだメディアが『オミクロン株』騒ぎする直前でしたが高熱のため『新型コロナウイルス』に感染している危険があるために搬送先に難儀し、市内の比較的小さな総合病院に搬送、高熱は発しているものの『新型コロナウイルス』は陰性、肺炎も併発していなかったものの意識が朦朧としており、自力で食事も摂れないことから、しばらくは点滴で栄養補給をし熱が下げ体力回復をすべく入院となりました。
入院から3日後(このご時世ゆえに面会は一切禁止されています)、病院から妻のスマホに連絡が入ります(緊急連絡は妻にするようにしていました)。
肺炎を併発し、体力も落ちているので覚悟して欲しいとのこと、病院に行くこともできないので、ただただ連絡を待つだけの状況、浴槽の件で覇気のない義父の姿を目の当たりにしているし、さらに妻は緊急搬送時の義父も見ているので、私も覚悟していたし、妻も覚悟しているようでした。
次の連絡が入ったのはさきの連絡から2日後、峠は越えたけど意識は朦朧として自らの意志で体を動かせる状態ではなく寝たきりのまま、点滴で栄養補給をしながら経過観察。
その後、こちらから連絡しなければ病院からの連絡は週1回ていど、肺の影は消えたけど義父の状況は良くもならず、かといって悪くもならず・・・
2月の初めに病院から今後の治療方針をどうするかの連絡、このまま点滴中心の治療にするか?胃ろう治療に切り替えるか?
妻が即答できるわけもなく神奈川県内に住む義姉と妻と義母で3者で話し合ったあとに返答することに。
遺書とかがあるわけでもない、けれど生前から延命治療なんてしなくていいと言っていた義父の思い通りに胃ろう治療はしないことになる。
但し、点滴による栄養補給がずっとできるわけではなく、点滴が刺せる箇所がなくなるまでの間に体力が回復しない場合には覚悟して欲しい旨を言われる。
その際に義父の様子も確認するも寝たきりのまま、看護師さんの呼びかけにもかすかに反応するていどとのことでした。
その後も病院からの連絡は以前と同じていど、その間に妻とも話したけど、胃ろうじゃなくても点滴でも延命治療には変わりないし、まだ義父が生きたいと思っていたら体力は回復するし、そうでなかったらそうなるしかない。
老衰というのはもう少しゆっくり進行していくものだと思っていました。
ちょっと調べても老衰についての期間とかが明確に書かれているのものはなくて、でも症状はあきらかに老衰そのもの、数年前から痴呆症はゆっくり進行していたもののつい3ヶ月ほど前までは元気だったのが嘘のようでした。
治療方針を返答してから数週間後の2月の最終週、これ以上の点滴治療をできないので取り止めますとの病院から連絡、ご本人の体力次第ですが1週間前後を覚悟してくださいとのこと。
私は不在でしたが翌日には連絡があり、慌てて妻は義母を連れ立って病院に向かうも最後を看取ることはできませんでした。
当ブログ内では本当に稀にしか発信しませんけど、我が家の次男は知的障害者、そんな次男にたいして他の孫達以上に長い時間関わってくれ、色んな場所にも連れていってくれた義父、妻も私も大いに助けてもらいました。
次男は一昨年無事に成人しました。
今までありがとうございました。
ゆっくり休んでください。