2021年1月1日午後3時30分、コロナ渦ということもありどこにも出かけず家族全員まったりしているところに我が家の固定電話が鳴った時から、それは始まりました。
「○○くん、おじいちゃんが1時過ぎに散歩に行くって出かけたっきり帰ってこないんだけど、おじゃましていない?」
と義母からの電話。
義理の両親は近隣の公園に車で出かけ、公園内のランニングコースを散歩するのが日課なのだが、元日ということもあり義母は出かけずに義父だけで出かけたとのこと、通常なら小一時間で帰ってくるのにまだ帰ってこないと電話してきた。
御年85歳になる義父はちょくちょく一人で車で出かけてしまうこともあるし、まだ暗くなるには時間があったのと、この手の電話をしょっちゅう義母がしてくることもあり、
「ちょっと、いつもより足伸ばしただけじゃないですか。5時過ぎても帰ってこないようなら、もう一度電話ください」
と言って妻に変わることなく電話を切った。
いちよ妻に報告すると、
「いつものことだけど、いちよ心配だから電話してみる」
と妻が義母に電話後、年末に義父の実姉が亡くなって落ち込んでいたこともあって、
「心配だから自宅に行ってくる」
と言って出かけ、年始早々こちらは自宅待機。
ちなみに義理の両親宅は我が家から徒歩で15分、車で5分かからない距離。
辺りが暗くなってきても妻からの連絡はなかったが、17時過ぎに
「まだ帰ってこない、不安になってきた、どうしたらいい?」
とLINEが入る。
「先ずは義理姉に連絡、18時に近所に住む義父の弟、そして同じ市内にある年末に亡くなった義父の姉さん宅の順で連絡、18時までに俺もそっち行く」
と返信する。
年末から帰ってきていた長男に事情を説明し義父が我が家の固定電話に電話してくることもあるやもしれないので長男に自宅待機すること知的障害があり一人留守番させるには不安がある次男のことを頼み、すっかり暗くなり住宅街とはいえ元旦にしてはやけに静かすぎる道を妻の実家に向かう。
暗くなった静かな夜道は悪いことを考えるには好都合とばかりに僕の頭のなかを占有してくる。
妻の実家に着いても状況に変化はなく、さきに僕が指示した通りの連絡先に電話をするも義父が訪れてはいないことを確認し、義母に車のナンバーを確認すると、思っていたとおり解らない、そりゃそうだ、免許も持っていないし、助手席にしか座ったことのない義母が知るわけもない。
ちなみに僕も今年で今の車に買い換えて9年目になる我が家の車のナンバーを知らない(笑)
警察に電話するまえに実家の車のナンバー捜索、とにかく捨てずに色々とってあるし、重要な書類管理は義父任せだからナンバーが記載された書類を見つけ出すのに10分ほど要した。
僕が警察に電話しようかと言うと、
「私がする」と受話器を持ち上げた妻がゆっくりと1、1、0と電話機のボタンを押した。
僕がスマホで時間を確認すると18:20という数字が写し出されていた。
ひととおり要件を話し終えた妻は溜息をつきながら、電話機近くの椅子にゆっくりと腰を落とした。
「警察が詳細の聞き取りのために来るって」
義母、妻、そして僕と誰もが口を開くこともなく警察の到着を待った。
しばらくすると玄関扉のガラス部分に光が反射する、専用通路のある実家では誰かが敷地に入ってこない限り玄関扉に光が反射することはない。
「お父さんかしら」と義母がつぶやくが、光量からして自動車のライトでないことは明らかだった。
義母はふだんのゆっくりとした動きからは想像できない素早さで玄関口に飛び出し玄関扉を開けると、そこには扉を開けた本人以外が想像した通り制服に身を包んだ警察官が立っていた。
警察官から聞かれるままに氏名、生年月日、年齢、住所、連絡先、外出時間、車のナンバー、車種、車の色、外出した時の義父の服装などを聞かれた後に最近撮った義父の写真提示を求められた。
その後は義母の氏名、生年月日、年齢、住所、連絡先、そして妻も同様のことを聞かれた。
僕については義理の息子であることを確認されただけだった。
ひととおりの聞き取りが終わった頃には19時を過ぎていた。
聞き取りが終わった時点で所轄内および近隣の警察に情報が共有され捜索開始、捜索願いについては別途書面での手続きが警察本署で必要とのことで僕が行こうというと、警察官から娘さんに手続きをして欲しいといわれたので妻は車で警察本署に向かい、僕は妻の実家に待機することとなった。
自ら気を紛らわしたかったのか義母はやたらと僕にどうでもいいことを話しかけてくる。
「○○くん、お腹減ってない?」などなど
お腹は減ってはいたが、食べる気分になんてなれるわけもなく、気を紛らわしかったのかもしれないが、言葉のひとつひとつが煩わしくて、
「長丁場になるかもしれないから、お義母さんは僕がいる時間だけでも横になっていてください」
と促した。
僕はスマホで近隣の事故情報や行方不明者情報を検索するも有効な情報などなくツイッターで情報提供を呼びかけようとも考えるが考えるに留める。
85歳になったいまでも義父は車の運転をするが、それも行先は限定されているし、ここ10年以上夜道なんて運転していない、それに最近では痴呆もちょっと入ってきており昔は利用していた道でさえ解らなくなってきている。
ただ義父は無茶をする人ではないので諦めて夜が明けるのをどこかで待っているのではないか、夜ゆえに捜索もままならないだろうし、例年と比べると元旦とはいえ外出している人も少なく一般の方からの情報提供もなく夜が明けてからが本格的な捜索開始で、まだまだ先は長いと覚悟を決めるしかなかった。
市内であっても実家から警察本署までは道路がスムーズに流れていても車で20分をかかる。
妻が正式な捜索願いの手続きをすべく必要なものを揃えて警察本署に向かったのが19時30分を過ぎていた、20時過ぎには到着していたと思うのだが、妻から連絡が入ったのは20時30分頃、義母に確認したいことがあるから電話を替わって欲しいという内容だった。
妻と義母の会話が終わって暫くして妻から今から戻る旨のLINEが入った。
コタツに足を滑りこませ、再びスマホで神奈川県内の事故情報や行方不明者情報を前回から変化しているとは思えないけどりリロードを繰り返す、スマホの時刻表示はもう少しで21:00になろうとしていた。
21:00になろうとしているのを確認して暫くして、僕のスマホに電話がかかってきた、かけてきたのははうちの長男だったので、次男がなんかやらかしたとか、そんな連絡かと思ったら、明らかに外からかけてきている様子。
「父さん、じいちゃん見つけた!」
自宅で待機していると思っていた長男が外にいるし、まして捜索願いまで出しているのだから僕の口からは
「家に来たの?それともツイッターかなんかで情報もらったの?」
というと、軽く息が乱れ気味の長男から
「今一緒にいる。○○の近くで車を見かけて、走って信号待ちのところを捕まえた」
○○とは近くのドラッグストア。
「一緒にいるって、一緒に車に乗っているってこと?」
「そう、今実家に向かっている」
「今すぐ運転止めて、そこで待ってろ」
「だって、もうすぐそこだし」
「解った、じゃあそのまま連れて帰ってきて」
連れてきてといっても運転しているのは義父なのだが。
長男との電話を切ると、義母に息子が見つけてこれから戻ってくることを報告、続いて妻に連絡し、警察、近所に住む義父の弟宅にも連絡した。
義父が家に戻ってきてから5分ていどで先ほど実家に来てくれた警察官が到着、ついさっき写真で見た人物と同じ義父の姿を確認し
「本来なら警察が先に見つけるべきでしたが、ご無事でなによりです」
というと義父への午後1時からの足取りについての聞き取りが始まる。
警察官の質問にたいして義父の受け答えは時系列もバラバラで要領を得ない、極めつけは捜索願いを出した直後に国道に設置されたカメラに走行中の義父の車が写っていたと言われても
「そんな場所を通った覚えはない」
薄々進行しているのは解っていたけど、改めて義父の状態を知るに至った。
「途中からはたぶん覚えていないんだと思います」
と僕が言うと、警察官もこれ以上質問しても要領を得ないことは解っているので、そこで義父の足取りについての聞き取りは終わったものの、義父の車の状態確認が始まった。
車の確認が始まると、義父を連れてきた長男が僕に小声でささやく
「○○さんちの塀にぶつけたよ」
○○さんとは道路を挟んで真向かいの家のこと。
暗いなかひととおり車の状態を確認すると、至るところに傷があり、そのほとんどが義母の知らないものだった。
警察官が義父に確認するも、こちらも要領を得ない。
一箇所だけは息子が同乗していてやったものだったので、息子が義父に替わり状況説明をする。
捜索願い以前の義父の足取りが解らないから、○○さんちの塀にぶつけた以外は現時点では解るはずもなく○○さんちの塀については物損事故扱いになるので翌日、明るくなってから改めて確認しましょうとなった。
最後に警察官から
「免許の返納のいい機会になったと思いますのでお願いします。それと地域のケアマネジャーさんにも相談なさってください」
と連絡先が書かれた冊子をいただいた。
警察官のバイクが暗闇に消えていったの確認し、スマホに目を移すとそこには22:33という数字が表示されていました。
警察官が帰ったあとに息子に確認すると、20時過ぎから義父が立ち寄りそうな近隣の場所をランニングしながら探し回っていたとのこと、義父も20時頃には自宅近隣に戻ってきたものの夜ということもあり自宅の場所が解らなくなり彷徨っていたのではと思えた。
20時過ぎから近隣の捜索をはじめた息子、20時頃から自宅近隣を彷徨っていた義父、奇跡的な偶然により捜索願いから2時間もしないうちに無事に義父が見つかりました。本当に息子には感謝するしかありません。
そして2時間余ではありますが、捜索をしていただいた警察にも感謝です。
歳は義父より若いのだが、口は達者だがあそこが痛い、ここが痛いと何かと義父に頼ってばかりの義母、そんな義父にとっては
♬自由になれた気がした(八)十五の夜♬
だったのかもしれない、などと呑気なことを書けて良かったです。
明けて1月2日(土)に妻は義父を伴い免許返納すべく警察署に行きましたが、土日祝は免許返納の受付をしていないとのことで免許返納は後日にし、義父の車のキー、スペアキーを預かりました。
家族会議の結果、取り敢えず実家の車のキーは預かるも免許返納とともに実家の車も廃車することとなりました。
多くの人に迷惑をかけ義父も踏ん切りがついたようです。
それと携帯もスマホも持っていない両親、とくに義父の居場所が解る用に現在端末を選定中です。
以上、最後までお付き合いありがとうございました。