sugarless time

甘く切ない80年代、甘くない現在の興味のあること中心に綴ります。

若者の車離れをロマンチックに考えてみた

若者の車離れをロマンチックに考えてみた。

 

わたしが子供だった頃、我が家の車にある車内装備といったらエアコンもなくラジオくらいなもので、父が運転する車に揺られながら車窓から見える景色をいつも追いかけていた。

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ハイハイさんによる写真ACからの写真

 

母や妹は車酔いしやすい体質だったこともあり遠出するときは乗車してすぐに後部座席で寝るので、いつ頃からかは忘れたが小学生になったくらいから助手席はわたしの席になった。

 

家族での車での遠出といえば一年に一回、母の実家がある長野への帰省だけだった気がする。ちょっと成長した私は助手席に座るようになったものの、もともと口数の少ない父親、車を運転するときはさらに寡黙であった、父親が怖い存在であった子供の頃の私は自然と車窓から見える景色を追ったり、道路に設置される案内標識の地名で目的地までの時間や距離を頭の中の日本地図を照らし合わせて計算して楽しんでいたりしたものだ。

 

我が家の車だけではなく長野に帰省すると叔父も長野県や群馬県と色んな場所に甥っ子と姪っ子を車で連れていってくれた。今でも鮮明に思い出すのは『草津白根山』、エアコンも標準装備されていない時代、開け放った窓からは山頂に近づくにつれ車内に慣れない硫黄の匂いが漂っていたのも覚えている。

子供心に鮮明に焼き付いた景色や硫黄の匂いを妻や子供にも体験させるべく10年以上前に行ったときの写真が以下です。
山頂に向かう途中で窓を開けたのは一瞬でしたけど、家族の「くさっ!」という反応、初めて見る湯釜に目を見張る家族の反応にもほくそ笑んだものです。

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近年草津白根山の火山活動が活発になったため、現在は上記写真のように近くまではいけなくなっているはずです。

 

子供の頃にそうやって見て感じたもの、もちろんその目的地に至るまでに見た景色、感じたものを大人になると自らの運転でもう一度感じてみたいと思うようになった。

 

時間を経て成長した自分、時間を経て変わった景色、それでも、その場所にはあの時に見た景色や感じたことが紛れもなく存在していたのだ。

 

今の子供たちは、わたしが子供の頃に見たもの感じたような経験をできているのか? 

車内モニターでテレビやビデオを見続け気付いたら目的地。子供達が退屈だからという親の気持ちも解らなくもないけど、それが正しいとも思えない。

 

そんな親の子供を思う気持ちが、それが当たり前と思う子供達、それが普通になってしまった今、わたしが子供の頃に見た車窓を流れる景色、そして大人になったら自分の運転でその景色を見たいなどという思いが今の子供たちに生まれるわけがない。

 

親の気持ちだけが問題ではない、元を辿れば運転手に限らず車って乗ることじたいが楽しいものだったのに、ただの移動手段、しかも日々の生活をそのままに移動するだけのツールにしてしまった自動車メーカーにも問題があるのだけど。

 

便利になったけど色んなものが無くなったとアラフィフおやじは思うのだ、無くなったものが無くしてよかったものなのか、無くしてはいけなかったものなのか。

アラフィフおやじは無くしてなならなかったものだとう思うけど、それはたぶんにアラフィフおやじだからだね(笑)

 

いずれ論理的に若者の車離れも書きます。

 

 

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