出典:ベイ・シティ・ローラーズのイアン・ミッチェルが逝去。享年62歳 | NME Japan
カーラジオから流れるニュースで懐かしい名前を耳にしました。
『ベイ・シティ・ローラーズ』の『イアン・ミッチェル』死去
『ベイ・シティ・ローラーズ』を知らない方はウィキペディアで
英語版の方が内容が濃いので日本語版では物足りない人はこちらもどうぞ。
ざっくりいうと1970年代に活躍したイギリス(スコットランド)の(アイドル)ポップグループ、イギリスでの人気を皮切りにアメリカ、日本、そして世界でも人気を得ました。
メジャーデビューは1971年なのでわたしはリアルタイムでは『ベイ・シティ・ローラーズ』の人気ぶりを経験していませんけど、なんとなくお姉さんたちが熱狂している映像を何度となく見てた気がします。
まだ子供だった私が得る情報はといったらテレビ中心ですから、ほとんど洋楽に関しては盲目だったのですが『ベイ・シティ・ローラーズ』も『イアン・ミッチェル』も知っています。
改めて調べてみると『イアン・ミッチェル』が『ベイ・シティ・ローラーズ』に在籍した期間はわずかなんですね、それでも私も妻もなんとなく冒頭画像の『ベイ・シティ・ローラーズ』の『イアン・ミッチェル』の顔を覚えていました。
短い期間ではありましたが世界中で人気となった『ベイ・シティ・ローラーズ』のレコードセールスを調べてみると、1974年のデビューアルバム『Rollin'』、1975年のセカンドアルバム『Once Upon a Star』はともに全英チャートで1位を獲得、1975年の『Wouldn't You Like It?』は全英3位、1976年の『Dedication』が全英4位、日本の洋楽アルバムチャートで1位、1977年の『It's a Game』が全英18位ながら、日本の洋楽アルバムチャートで1位を獲得。
シングルチャートでは1975年の『Bye, Bye, Baby』、『Give a Little Love』が全英1位、それ以外にも1974年から1976年の全英チャートに複数の曲が上位にランクインしています。意外だったのは『Saturday Night』は全英で発売していないようです(汗)でも全米チャートで初の1位を獲得しています。
詳しくは ⇒ Bay City Rollers discography - Wikipedia
リアルタイムで『ベイ・シティ・ローラーズ』を経験していませんが、中学生になると情報を得るのがテレビ中心の世界からラジオからも得るように変わっていき、音楽についてはほとんどラジオからと言ってもいい位です。
そういう生活への移行の中でお姉さんたちが熱狂していた『ベイ・シティ・ローラーズ』の『Saturday Night』と出会います。
たぶんもうちょっと歳を取ってから聴いていたら、きっと『ベイ・シティ・ローラーズ』のキャラクターを見て聴く以前に拒絶していたと思うんですけど、その時はまだまだ今みたいにひねくれてないので『Saturday Night』はラジオから録音したものをいつも聴いていました。
いつ聴くかというと中学の頃は毎晩ちゃんと勉強してました。だいたい21時頃からだと思うんですけど、21時頃にこれから勉強を始めるぞ!!のテーマ曲でした。
そうそう私にとって『Saturday Night』は『Study Night』、
S・A・TUR・DAY NIGHTではなく、
S・T・U・D・Y NIGHT。
♬サタデーナはぁぁ~~イ♬ではなく
♬スタディナはぁぁ~~イ♬
と絶叫してから勉強を始めてたものです(笑)
リードヴォーカルの『レスリー・マッコーエン』はその後もソロとして活動しています、ソロ活動し始めた『レスリー・マッコーエン』はリアルタイムで見ていて当時は滅茶苦茶格好良いと思っていたんですけど動画見ると『えっ?』と思ってしまいました(笑)
そしてリアルタイムで見聞きした「レスリー・マッコーエン」といえば『Sylvie My Love(銀河のロマンス)』なんですけど、改めて調べてみたらかなりガッカリ!?まだまだお子様だった私はそんなこと知りも解りもしませんでしたから(泣)
証拠動画は以下の通りです。
『Sylvie My Love(銀河のロマンス)』って『ザ・タイガース』の曲の英訳カヴァーだったなんて、『ザ・タイガース』もリアルタイムで知らないし楽曲そのものもあまり聴いたことがなかったで勉強になりました(笑)
『イアン・ミッチェル』の訃報で思い出した『ベイ・シティ・ローラーズ』 、久しぶりに色々と聴いてみたいと思います。
現在購入できる音源調べてみましたが、以下の『Gold』がヒット曲や聴き覚えのある曲が盛りだくさんでお薦めです!