sugarless time

甘く切ない80年代、甘くない現在の興味のあること中心に綴ります。

伊藤英明の『斎藤義龍』終了に思うこと。

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出典:斎藤義龍 - Wikipedia

 

5月20日付けで『スポーツニッポン』が『麒麟がくる』の

『越年放送』について報じました。

www.sponichi.co.jp

 

スポーツニッポン』以外は報じていませんが、

事実なら嬉しいですね、ところが全44話ですよ。

5/24放送の第19話「信長を暗殺せよ」ではまだ信長に

仕えてもいません、このペースなら全60話くらいにしても

いいんじゃない?と本気で思っています。

だって次は『吉沢亮』が演じる『渋沢栄一』ですよ!

私は間違いなく観ないです(笑)

 

 

さて本題です。『麒麟がくる』第19話において『伊藤英明

演じる『斎藤義龍』の終了がナレーションで伝えられました。

月並みな表現で『歴史にIFはない』のですが、

ふと『斎藤義龍』が病に倒れることなく相応の寿命を

全うしていたら、ナレーションで片付けられることも

なかったのにな~と思った次第です。

 

麒麟がくる』の主人公は『明智光秀』であり、

明智家』をいったんは滅ぼした『斎藤義龍』は仇敵、

ドラマ本編で必要以上に尺を取る必要はありませんけど、

もし『斎藤義龍』があと10年生きていたら・・・

と想像が膨らみます。

 

 

斎藤義龍のおさらい

生年:1527年

没年:1561年

父道三を討った『長良川の戦い』が1556年ですから5年後、

織田信長が『桶狭間の戦い』で『今川義元』を討ってから

わずか1年後に病死しました。

織田信長が『美濃』を支配下に置くのは1567年、

義龍の子『斎藤龍興』の代になってからです。

義龍が存命中、信長は東側(今川家)からの脅威もあり、

美濃への侵攻が困難であったことは容易に想像できます。

 

織田信長 

桶狭間の戦い』で勝利してからも尾張国内の情勢は安定せず

1562年には犬山城を本拠とする『織田信清』が反旗を翻す。

1563年本拠を清洲城から小牧山城に移す。

1565年犬山城の『織田信清』を下し尾張統一を達成。

本格的に美濃への侵攻を開始します。

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斎藤龍興 

斎藤龍興』の後を継いだ息子『斎藤龍興』は

祖父や父と比べると若く凡庸で家臣の信頼を得られず、

家臣団の離反が相次ぎ、1567年に『稲葉山城』は

落とされ美濃は信長の支配となった。

のが史実ですが・・・

 

斎藤義龍』が存命だったら、1559年に足利幕府相伴衆

列せられていることもありますし、信長よりは京へ近い美濃の

斎藤義龍』を頼るのが自然だと思いますし、仮に義龍を

飛び越えて信長を頼ったとしても、何事もなく美濃を通過

させるとは到底思えません。

 

また、犬山城主『織田信清』に何ら手を貸さないとも

思えませんし、家臣団の離反も龍興ほどあったとも考え難いです。

 

 

1567年に信長は伊勢にも侵攻しますが、これも義龍が存命なら

1567年に実行出来たとは到底考えられません。

 

史実では信長は美濃を支配に入れ1568年『足利義昭』を奉戴し上洛。

となるわけだが、これも義龍存命なら1568年に実行出来たとは

到底思えないし、そもそも義昭が信長を頼ったかすら怪しい。

 

それなのにナレーションで終わってしまった『斎藤義龍』の死には

彼のために一掬の涙なきを得ない。

 出典:海音寺潮五郎 武将列伝 蒲生氏郷

引用は出典の通り『蒲生氏郷』の章をを締めくくる文ですが、

斎藤義龍』の器量を思うと彼にも当てはまると思う。

ただ、彼がそう思われないのは父道三を討ったことが大きく起因して

いると思われてならない。

 

追って(いつになるか?)加筆するかも(汗)

 

 

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