『越年放送』について報じました。
『スポーツニッポン』以外は報じていませんが、
事実なら嬉しいですね、ところが全44話ですよ。
5/24放送の第19話「信長を暗殺せよ」ではまだ信長に
仕えてもいません、このペースなら全60話くらいにしても
いいんじゃない?と本気で思っています。
私は間違いなく観ないです(笑)
演じる『斎藤義龍』の終了がナレーションで伝えられました。
月並みな表現で『歴史にIFはない』のですが、
ふと『斎藤義龍』が病に倒れることなく相応の寿命を
全うしていたら、ナレーションで片付けられることも
なかったのにな~と思った次第です。
ドラマ本編で必要以上に尺を取る必要はありませんけど、
もし『斎藤義龍』があと10年生きていたら・・・
と想像が膨らみます。
斎藤義龍のおさらい
生年:1527年
没年:1561年
父道三を討った『長良川の戦い』が1556年ですから5年後、
わずか1年後に病死しました。
義龍の子『斎藤龍興』の代になってからです。
義龍が存命中、信長は東側(今川家)からの脅威もあり、
美濃への侵攻が困難であったことは容易に想像できます。
1562年には犬山城を本拠とする『織田信清』が反旗を翻す。
本格的に美濃への侵攻を開始します。
祖父や父と比べると若く凡庸で家臣の信頼を得られず、
家臣団の離反が相次ぎ、1567年に『稲葉山城』は
落とされ美濃は信長の支配となった。
のが史実ですが・・・
列せられていることもありますし、信長よりは京へ近い美濃の
『斎藤義龍』を頼るのが自然だと思いますし、仮に義龍を
飛び越えて信長を頼ったとしても、何事もなく美濃を通過
させるとは到底思えません。
また、犬山城主『織田信清』に何ら手を貸さないとも
思えませんし、家臣団の離反も龍興ほどあったとも考え難いです。
1567年に信長は伊勢にも侵攻しますが、これも義龍が存命なら
1567年に実行出来たとは到底考えられません。
史実では信長は美濃を支配に入れ1568年『足利義昭』を奉戴し上洛。
となるわけだが、これも義龍存命なら1568年に実行出来たとは
到底思えないし、そもそも義昭が信長を頼ったかすら怪しい。
それなのにナレーションで終わってしまった『斎藤義龍』の死には
彼のために一掬の涙なきを得ない。
引用は出典の通り『蒲生氏郷』の章をを締めくくる文ですが、
『斎藤義龍』の器量を思うと彼にも当てはまると思う。
ただ、彼がそう思われないのは父道三を討ったことが大きく起因して
いると思われてならない。
追って(いつになるか?)加筆するかも(汗)